支店を作り、25年で1500棟。そこで見えた「本当の強さ」とは【後編】

【中編】で、阪神・淡路大震災をきっかけに弊社が関西に支店を構えることになったところまでお話ししました。今回は、その25年間の歩みについてです。

目次

25年間で、約1500棟

震災後の復興需要の中で構えた関西支店。以後およそ25年にわたって現地で工事に携わり、手がけた棟数は約1500棟にのぼります。

きれいな話だけではありませんでした。関東の会社というだけで、現地の業者から資機材の取引を断られる時期が長く続きました。信用がない土地で、ゼロから関係を築くしかありませんでした。

打開策は、地道な二つの方法でした。

  1. 関東からの定期輸送:現地で調達できない分は、関東から資機材を定期的に運び込みました。
  2. 時間をかけた信頼構築:数年をかけて現地での実績を積み、ようやく掛け(売掛)での調達ができるようになりました。ここに至って初めて、関西でも関東と変わらない仕事の体制が整いました。

資機材だけでなく、作業員の生活基盤も自分たちで作る必要がありました。最盛期には約40人の作業員が現地で働いており、弊社は一軒家を購入し、そこで共同生活を送る体制を20年間続けました。衣食住を含め、遠方での長期就労を支えるインフラを、会社として丸ごと引き受けていた形です。

なお、神戸支店は現在、その役目を終えて閉鎖しています。しかし、そこで積み重ねた経験や姿勢は、今も弊社の現場対応の根底に残っています。

決められた基準を、確実に守るということ

今回の地震で弊社が行ったのは、特別なことではなく、決められた基準に沿って現場を確認し、報告するという、ごく当たり前の対応でした。しかし、この「当たり前」を一件も欠かすことなく続けてこられたことが、結果として信頼につながっていると考えています。

それは一朝一夕にできたルールではなく、阪神・淡路大震災という大きな経験、そして関西で25年・1500棟を積み重ねる中で培われた「遠方でも、時間がかかっても、自分たちでやり切る」という姿勢の延長線上にあります。

創業明治24年。地震も、遠方での不慣れな土地での苦労も、私たちにとって初めてのことではありません。これからも、派手さはなくとも、確認すべきことを確実に行う姿勢を大切にしていきます。


本記事は「深夜2時、震度5弱。翌朝、現場で真っ先に確認したこと」シリーズの後編(最終回)です。

目次